恵まれた日本でも「貧困」を感じる層の拡大。。。その原因とは? 貧困脱出に必要な力に変える!

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SDGsでも掲げられる「貧困」を減らす取り組み。世界を見ると10人に1人が貧困とされているけど、日本では食べ物がない、住む家がないという人は周りでは見かけないけど、世界にはまだ多くの人が生きることに必死な人が7億人以上いる。

「貧困」という言葉を見ると本当に貧しい国のことのようにイメージされるけど、貧困を感じる瞬間は「比較」。

この日本でも「貧困」はある。

◼️貧困は比較

●若年層のモチベーション低下

経済が弱ってくると、当然経済格差が大きくなる。
「1億総中流」を目指していた日本社会の平均給与は30年前より低下している。
この平均給与は全年代の給与と考えれば、日本のように50代の働き世代の人口が多いことを考えると若い人が低賃金で働かされていることを意味している。

多くの企業の問題は共通していて、能力もない、実績もない、生産性もない50代が何もしなくても給与が良くて、能力が高い若者が正当に評価されない。
なぜなら能力値が高い20代、30代を評価しているのが生産性がない50代の場合が多いから。

若年層が「頑張っても無駄」という風潮が一般化してしまったことが、経済が伸びない理由。
全てではないけど、先人の作ったレールで何も考えずにここまできた50代は考える力が圧倒的に不足している。
それでも多くの会社では50代が役職を持つ。
能力がない役職者は当然正当に評価できるはずもない。

生産性のない50代の高額な給与を捻出するために20代、30代の若年層が頑張る。

昔は家族の大黒柱として父親だけ働いて母親が専業主婦という家庭が多かったけど、今は共働きしなければ生活が維持できない。
給与平均が高い50代が圧倒的に多いのに平均給与が低下していることは、生産性が高い若年層の平均給与が恐ろしく低いということ。
10年以内に今、辛うじて給与がもらえている50代は定年を迎えると日本の平均給はさらに下がることが予測できる。

何でも揃う日本であっても「貧困」を感じる人が多くなった理由は、平均給与が低いといこともあるけど、生産性がない50代が何もできないのに給与が高いのに、頑張っている若年層が報われない環境が、貧しさと未来への希望をなくす原因。

安全な水が飲めて餓死することがない日本において貧しく感じるようになってきたのは、何かを比較することで、自分が劣っていると感じることが「貧しさ」を感じる原因かなと思う。

●貧しさとは?

ノーベル経済学賞を受賞したアマアルティア・センが定義している貧困とは、潜在能力を実現する権利の剥奪。
言葉を変えると、やりたいと思うことができないこと。

例えば、
スラム街で育った子供たちは教育を受ける権利が与えられず現状から抜け出せない。
日々の生活するだけに必死になるしかない環境で育てば未来への投資はできない。
ネット環境が家にない子供は、オンライン授業を受けたくても受けられない。

「お金」がないという理由で、自分が学びたいことができないことは、自分の潜在能力を磨く権利を得られないということ。
貧困の本質は不平等。

●不平等問題

アマアルティア・セン、『不平等の再検討(Inequality Reexamined) 』の中で繰り返し書かれていることが、「不平等問題は何の不平等をどの水準と比較するのかによってその評価は異なる」
その上個々の人間の生きる条件(境遇)は多様である。

不平等と感じる時は、何かを基準に比較するため、何を基準にするかによって感じ方が違うってこと。
スラム街で生まれ、日々生きるためだけに必死になり教育を受ける権利すらない子供達。
「貧困」という環境下で育っているにも関わらず笑顔溢れている。

なぜか?

それは、今ある現実を受け入れ今を楽しく生きているからで、スラム街という環境に非平等を感じていないからだと思う。

アフリカとかに多い周りに何もない部落の人や途上国の人が笑顔が素敵なのは、心から今の環境を幸せと感じているからだと思う。
金銭的に豊かな日本の子供達と、途上国の子供達の笑顔の違いは心の豊かさの違いかなと思う。
お金はなくても不平等を感じていない子供達と、生活はできるけど薄ら貧乏を感じ育った子供達では笑顔の質が変わるのも理解できる気がする。

途上国の方がドネーションの文化が根付いているとかは正に心の豊かさの差。

関連ブログ⬇️ 日本で根付かない寄付文化の理由

ただ、スラム街で育った何も知らない子供達の笑顔は大人になり外の世界と比較することが多くなると不平等な現実をしり、怒りと変わり少しでも豊かになるために犯罪に手を染めるようになる。

治安が悪い場所は、不平等を強く感じる人が多い場所でもあるってこと。
日本でも治安が悪い場所に住んでいる人を観察すると社会への不平等感を感じている人が多いように不平等は怒りの感情に変わりやすい。

◼️不平等問題の本質

●不平等とは?

「貧困」は生活財の不足、「低所得問題」であるのに対して、不平等 とは社会の平均的、一般的な人々と個々人の生活上の違い、格差が存在し、その状況や程度の大きな社会の状態を指している「社会全体の構造」を指す概念。
不平等問題は大きく2つの原因があるとされている。
相対的貧困(剥奪)と社会的排除

①相対的貧困(剥奪)とは?

「相対的貧困(剥奪)」は「生活様式」が社会の一般的水準と比較して、その劣った程度、格差を「貧困」として捉えるので「相対的貧困(剥奪)」と表現された不平等問題 は、生活様式が一定水準であるための生活財を確保する事ができない程の所得の不足、「貧困ライン」に達しない「低所得問題」として整理されている。

日本で相対的貧困を感じているのが正に若年層。
平均給与以下の生活の中で、限られたお金の中でやりくりをして生活をしなければいけない。
自分も東京出てきた時に最初に働いた時は、労働時間18〜20時間で休みなしで保険、交通費無しの月12万からスタートの今でいう超絶ブラック企業でキャリアをスタート(笑)

相対的貧困の中で仕事に追われ、少ないお金しか稼げない生活が続き、当然心と体は蝕まれ、人生で1番職質をされた期間(笑)
今ではあり得ないけど、当時は警察とすれ違えば、ほぼ職質を受けていた時代。
お金がないから新たな投資もできないし、時間もないからそもそもリフレッシュする時間すらない。

②社会的排除

「社会的排除」は、その人が社会の中の様々な関係において何だかの齟齬 を生じ、排除されているという事態、その在り方が社会の一般的水準と比較して格差のこと。
犯罪や事業失敗、借金踏み倒しなど、たまに耳にすることがあるブラックリストというところに名前がある人。

生活困難を「貧困」と捉えるので、社会から「排除される者」と「排除する社会」という双方が関与する問題。
特に日本は1度失敗した人に対して厳しい制裁をする社会で、事業で失敗し自己破産すると色んな制約を受けることになるし、犯罪履歴があれば普通の企業にいる務めることは難しい。
排除される者/排除する社会の関係において、社会と排除される個人の間には排除/被排除の関係が存在する。
これが社会的排除の不平等。

●不平等から生まれる力

相対的貧困、社会的排除などによって感じる不平等は必ずしも全てが悪いことではないと思う。
不平等を感じ、その環境から抜け出そうとするモチベーションと変えられれば怒りは大きな力に変わる。
不平等から生まれる力、これこそハングリー精神。

父親がまともに働かない、家族旅行なんて1度も行ったことがない田舎の貧しい家庭で育った(笑)。
ただ、母親が苦労してくれたことで有難いこと高校まで好きなことをやらせてもらえた。他と比べたら貧しい家庭だったけど、その時はお金がないことへの不平等を感じたことがなかった。

不平等を強く感じるようになったのが大学。奨学金で学費を全額借り、親の仕送りが1円もないけど1人暮らし。
通称「犬屋敷」と呼ばれる恐ろしくボロボロであれ以上のボロ家を見つける位に困難な場所に4年間住みバイトして生活費を稼ぎ学校に行く。
周りは親の仕送りで少しのバイトで遊ぶお金を稼ぐ友達を見て不平等を感じた。そこでなぜが芽生えた感情が「怒り」。

親のスネをかじって悠々と楽しそうにしている大学生活をしている友人達が憎らしくなり距離をとった。
周りが遊んでいる時間に必死で勉強して、とりあえず何もない中で裸一貫で東京に出てきて必死に勉強した。
体が壊れるまで夢中に勉強し頑張った。
このハングリー精神を産んだのが、不平等からの脱却だったってことだね。

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◼️貧困の考え方の移り変わり

●貧困の基準は変わる

貧困は不平等問題を抱えているので、時代とともに動き、その焦点も変化する。
今、日本のメディアでは不祥事や他人の不倫など「怒り」を煽って注目を集める報道が多い。
SNSでは誹謗中傷の嵐。

この本質的な理由が、社会への不平等を強く感じる心が貧しくなった「貧困層」が溜めた怒りの矛先を作ることで注目を浴びる手段。
メディアは社会を映す鏡と言われている。
今の現状を見ていると日本は本当に貧しい国になっているってこと。
これこそが「貧困」の拡大。

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非平等を感じ蓄えた「怒り」の感情が負の方向に向かえば、犯罪や誹謗中傷などの行為に向かう。
一方、「怒り」を陽の方向に向かわせれば、それが「ハングリー精神」と変わる。

「怒り」をどこに向かわせるかは自分次第。

◼️参考までに

●貧困率が高い日本の現状

働き方改革の一環として、「同一労働同一賃金」が施行され、正規と非正規の格差をなくすような動きや、働き方そのものを変える動きが加速している。
でも結局のところ、労働市場の二重構造などが変わらないと、本当の意味での貧困対策にはならない。今の日本は貧困対策として色々やっているけど、社会構造を大きく変えなければ本質的な改善にはならないし、何より超高齢老人の国会議員に社会構造を主導する力も知恵もない。

貧困率の高い国はGDPの成長率が鈍化することが知られててOECD(経済協力開発機構)も警告を出している。
日本の資源は人材しかないから、経済成長には人材育成が必須で、そこが危ぶまれると先行きは暗い。

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OECDのデータによると、日本の子どもの貧困率は42カ国中21番目に高く、ひとり親世帯の貧困率では、韓国、ブラジルに次いで3番目となっています。
世界的にみても貧困率が高く、“貧困大国”ともいえる状況なのが今の日本の現状。

昔は、みんな「日本は平等社会だ」と無邪気に信じていました。
しかし、「一億総中流」と言われていたのは70年代、つまり半世紀も前のことで、今は日本が格差社会であることは既に露呈していて、さらにはそれを容認するようになってきている。

収入格差は比較をうみ、非平等を感じる人を増幅させる。
不平等を感じることで「貧困」になった人は「怒り」の感情がたまる。
平均給与が上がっていないということは、相対的貧困層を増やしていることと同じで、それはこれからさらに社会に対して「怒り」を感じさせる人が増えるという証拠。

⚫︎格差社会は誰にとっても厳しい

格差が大きい社会は、豊かな人にもそうでない人にも、誰にとっても厳しい社会。豊かな家庭であっても「子どもが将来この格差社会で非正規雇用になったら大変だ」という意識が強ければ強いほど「なんとしてもいい学歴を」と考え、教育費をつぎ込み「私立の中学、いや小学校、幼稚園から塾に通わせなければ……」と、親子ともに追い詰められていく。

中流以上の層が公立の学校から抜けていくことによって、公立の学校のレベルが下がり、公立の学校に対する公的投資が下がり始めると、ますます余裕のある人たちは私立を目指すようになる。
自己防衛に走れば走るほど、負のスパイラルに陥り、格差社会が拡大していく。

親の年収が子供の教育環境を変える。
これは、親の収入がそのまま子供の将来に関わることを意味している。

親の収入が少ないと教育環境で勉強ができない。
子供を産む20代、30代の収入が少なければ当然子供に高い水準で教育を受けさせる環境は与えられない。

その結果が格差を広げる。数十年後、格差はさらに広がる。
ただ、この現実は予測できること。
予測できることであれば対策を取ればいいだけ。
対策とは?
そんなことすごく簡単。

「不平等」を感じるのであれば、その「怒り」の感情を無駄なところに向けないで、適正なところに向ければいいだけ。

時間がないではない。
時間は自分から作るもの!
心貧しくなりたくなければ、自分の力で抜け出すしかない。
それがハングリー精神の源。

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