古き良き時代⁉︎ 今でいうサスティナィナブルな生活

𖧷心がけること𖧷

自分では当たり前のことでも、他人にとっては全く違うことがあったりする。自分の場合は幼少期の生活がまさにそれにあたる。
田舎で生まれ、なぜか農家の祖父母に幼少期を過ごしていた。
昭和中期以降の生活写真を見ると全く違和感がない位のノスタルジーな生活をしていた気がする(笑)

今では、考えられない台所、トイレ、お風呂を普通に使っていたのが30年前のこと。
今思えば古き良き時代の生活は、SDGsだったんだなと実感。
過去の思い出と共に幼少期の貴重体験していたことを改めて誇りに思う。

◼️古き良き時代

●ノスタルジック⁉︎な生活

実家が貧しく、田舎特有⁉︎の長男優先家族の次男に生まれた自分は、小学生に上がるまで祖父母家庭に育てられた。祖父母の家は代々続く農家。
家は江戸後期〜明治初期に作られた古い家。
おそらく先祖は凄かったみたいで、仏壇部屋には白馬に乗った男性(おそらく先祖)の写真や、天皇陛下からの感謝状みたいなのが飾ってあった。その遠い先祖が残した木造平家の家で幼少期を過ごした。

当たり前にあったものとして、

  • 竹の籠の乳母車
  • 土間にお釜がある台所
  • 薪で沸かすお風呂
  • ぼっとん便所で小する場所はただの穴(笑)
  • 恐ろしく巨大化したネズミと共存

今では考えられない環境で平成になった時までは生活していた(笑)
昭和生まれの人でも、自分の周りではそんな生活していた人は近くでは聞いたことないから、結構引かれる生活。

①竹の籠の乳母車

小さいことの思い出は、ひいばあちゃんに連れられて近所に出かける時は必ず竹の乳母車に乗せられていた。

「キコキコ」と写真の独特の音を聞きながら乳母車の中から外の世界を覗くことが小さい頃の楽しみだった記憶。
今で言うベビーカーが竹の籠で作られた乳母車。

②土間にお釜がある台所

自分の小さい頃の台所のイメージはとにかく寒い場所。

居間(お茶の間)から土間(台所)に行く時はスリッパを履かなければいけなかった。土間の床が土だったから冷たく、薄暗い。
漬物を保存するにはもってこの場所。
※居間は今でいうとことのリビング?

流石に小学に上がる時には炊飯器でご飯を炊いていたけど、幼稚園の頃はお釜でお米を炊いていた(笑)
農家でいろんなものを育てていたから、お米も野菜もとにかく美味しかったから、今でも野菜好き!

③薪で沸かすお風呂

お風呂の時間になるとばあちゃんが薪でお湯を沸かす。
今ではヒノキ風呂って少し高級な感じだけど、自分にとっては使い込んだ少し黄ばんだ色のヒノキ風呂が当たり前。

お湯加減がわからないから、一番風呂はめちゃくちゃ熱くてまともに入れたものではない!

風呂場は離れにあって、いつも薪が置いてある。
昭和30年代の写真と同じようなお風呂は、とにかく小さい頃は熱いお風呂は嫌いだった気がする。

④ぼっとん便所で小する場所はただの穴(笑)

トイレは勿論ぼっとん便所!しかも陶器の便器ではなくて木枠!

トイレも離れにあって、夜にお腹が痛くなったら最悪!
めちゃくちゃ薄暗くて木の軋む音がなんとも不気味で冬は寒いし夏は蚊との戦い。
おしっこは、ただの穴が掘ってあるだけで溜め込み式という強烈な感じ。

博物館でも見ることがないトイレはおじさんが結婚しておばさんが嫁いできた時に流石に引くよなってことで土間を潰してお風呂とトイレを作ったのが平成入ってから。
ちなみに祖父母の家に行けば今だに木枠のぼっとん便所と、ただ穴を掘っただけのトイレは健在!!!
未だかつて、自分が生まれ育った祖父母の家以上のトイレを日本で実際に見たことがない。
※中国の田舎でただ掘っただけのトイレは見つけた!(笑)

⑤恐ろしく巨大化したネズミと共存

農家だから年中食べ物がたくさんあるってことでネズミたちの楽園。
食べ物がたくさんあるところで育ったネズミは恐ろしいくらい巨大化して、手のひらを超えるサイズまで育つのが当たり前(笑)
巨大化したネズミが天井付近を動けば「ガタゴト」と大きな音が発生する。

活動的になる夜は、いつもネズミの大移動で家中が「ガタコト」する生活が当たり前になると、ネズミ如きが動いても驚きすらしない。

寝ている時にたまに天井から落ちてくるドジなネズミに睡眠を邪魔されることは日常。大人になって一人暮らしし始めて、1番驚いたのはネズミの小ささ。
めちゃくちゃ小さくて最初は「あれ何⁉︎」って思ったなぁ。
妻が祖父母の家に遊びに来た時に、巨大化したネズミが出ても普通にしている家族を見てドン引き。

◼️自然と共存

●古き良き時代はSDGs?

自分と同じような年代で、このような環境で育った人はほとんどいない気がする。
昭和初期位の生活が自分の幼少期の思い出として残っている。
原始的というか自然と共存している生活(笑)
そう思うと昔の生活ってSDGsだなって感じる。

農家ってこともあってほぼ自給自足に近い生活で、薪で火を焚き暖を取ったり料理したり、トイレも出しっぱなしで、ネズミと共に生活。

鮮度の高い農作物に囲まれ、駄菓子より家で作った和菓子をおやつにする毎日。
煎餅を作ったり、お餅をついたり、田楽を自家製味噌で食べたり。
そして、眠くなったら縁側で日向ぼっこ。

今では考えられない生活が自分の幼少期。
不自由なことは多かったけど、幸せな時間。

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●昔の生活への憧れ

特殊な環境で育ったからこそ思うのが、便利になりすぎることの不幸。
当たり前のように電気が使えて、清潔な環境で生活できる。
ただ、この当たり前の中では幸せを感じる瞬間が少なくなる。

不便な生活から少しずつ豊かになると人一倍感動の数が多い気がする。
ウォシュレットで感動。
ファーストフードで感動。
テレビゲームで感動。
漫画を買えることで感動。
この感動ができない不幸。
そして、今起こっているのがノスタルジーといった古き良き時代を思い出すことで感動を得る。

新しく生まれ変わった、西武ゆうえんちに多くの人が感動し体験を求めに殺到しているのは、古臭いがノスタルジーとして生まれ変わったからだと思う。

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昭和の世界観が今では新しい。
昭和では当たり前だった近所付き合いや、世代を超えて人間味がある人達との交流。
そう、まさに便利な生活になり忘れ去られたコミュニケーション。

不便だった昔は近くの人と助け合って生活していた。
農家家庭で育てば近所の人とブツブツ交換は当たり前だし、隣のおばさんに面倒見てもらうのも、玄関の鍵なんて閉めなくても悪さはされない。
人を疑うことを知らず大人になると世の中には本当に人を騙す人、裏切る人の多さに驚いた。
今は、多くの人が本来日本人が持っていたお互い様の精神を忘れ、自分だけ、他人は知らないと言った精神になってしまっている気がする。。

●忘れては行けない感情

便利になりなんでも簡単に手に入れられるようになると、当たり前のことを忘れがちになる。
Uber eatsが当たり前になればお金を払えば配達されるのが当たり前に。
ネットで簡単に物が届けば楽してなんでも揃うのが当たり前に。
この小さな当たり前が積み重ねると失われるものがある。
それが「感謝」

感謝とは人と人との関わりで生まれる。
人と人との接点が合理的になっていくと感謝の気持ちが薄くなる気がする。
便利になってきた時代だからこそ、当たり前に感じる1つ1つのことを見つめ直すと心豊かになれる気がする。

古き良き時代を思い出す。
それが実はSDGsにつながるような気がする。

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