東京、朝の通勤ラッシュ。
時間、路線によっては会社員の通勤、学生の通学時間が重なると大混雑の車両。
混雑の中、何十分もの間密接空間にいると朝から凄く嫌な気分になる。

地獄的空間の中で、席に座れることができれば人との接触距離も少しだけ空くし、何より座りながら本を読んだり調べ物をしたりする貴重な時間となる。
そのため、通勤ラッシュ時間では席の奪い合いをよく見かける。
そんな状況の中で、たまに見るほっこりしたやりとりが朝の気分を上げることがある。
それが席を譲った時の何気ない会話と対応が「ありがとう」と「笑顔」。
この何気ないやりとりで感じる笑顔と笑顔のやりとり。
目次
◼️みんな同じだよ
●席は譲りたくない
他の都市圏と比較しても東京の通勤ラッシュは地獄。
おじさんの頭皮の匂いや加齢臭に、明らかに二日酔いのお酒臭に女性などの香水の匂いが混じり合う車内は悲惨。
この状況で小さな子供連れ家族や体が不自由な老人、流石に時間ずらして行動したらと思う妊婦が途中で乗車することがある。
そのような人のために優先席があるのに、通勤ラッシュでは真っ先に座る人が結構多い。
やくみつるさんの絵が象徴するように、
優先席
寝たふりを上手
コンテスト
まさにだと思うし、最近では寝たふりすらしないで堂々と携帯をいじっている人も多い。

折角座った席だから譲りたくないのはみんな同じ。
朝も眠いし少しでも寝たい、その中で座れた席を譲るのは嫌だという気持ちは理解できる。
でも、自分よりあきらに身体的弱者に対して「自己中心的」な考え方の人が本当に多い気がする。
長時間立つことを引き換えに、誰かに席を譲ることは自己犠牲できる人しかできないってこと。

●譲られる人の態度
この人には、あえて譲りたくない人も一定数存在する。
稀にいる「席譲れよ」といった態度でわざわざ席に接近してくる老人。
席を譲ったとしても、「当然」という態度でお礼すら言えないような人。

態度の悪い老人に席を譲ることだけは気分が悪くなる。
「当然」という態度が不快な気持ちにさせ、なぜか行動したくなくなることもある。
「ありがとう」と感謝されるだけでいいのに、感謝が伝えららない人の多さにもびっくりする。
自分を犠牲にして行った行動に感謝されないと譲った方は気分が悪くなる。
そんな経験が積み重なると人を助けない人が増殖する。
今、まさにお互い様の精神がなくなるような貧しい社会に突入している気がする。。。
やばい!!!って状況。。。
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●表情にでる生活感
人間観察をしていると、表情で幸せそうな人とそうでない人がわかる。
不幸そうな顔を見たければ、満員電車に乗れば観察できる。
- 疲れ切っていて目が死んでいる
- ダラシない格好で覇気は感じられない
- 寝不足、生活苦が明らかに表情に出ている
- 毎日をこなすだけで感情を持たない
こんな人の宝庫(笑)

※自分を犠牲にして席を譲れる人は少数派
毎日が充実している人はごく一部で、ほとんどの人が不平不満の中でストレスを感じながら生活をしているから、どうしても表情は暗くなる。
表情が暗ければ、人は手を差し伸べないし、自分が誰かに手を差し伸べることはできない。
その結果、当たり前のことが出来なくなる。
それが感謝と挨拶。
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「感謝」と「挨拶」といった当たり前のことが出来ない人が本当に多いのにびっくりする。
その理由が「心に余裕がない」からだと思う。
◼️「感謝」と「挨拶」
●小さい頃に教えられる当たり前のこと
誰もが知っている当たり前のことを当たり前にする。
誰もが知っていることとして教えられてきているのが「道徳心」。

「感謝」「挨拶」は生きていく上で基本だし、誰でも簡単にできること。
この簡単にできることが出来ないから人に差が生まれる。
感謝できない人の顔は総じて「不幸顔」。
感謝の言葉が伝えられない人は心に余裕がない。
心に余裕がないから表情はこわばるし、人は離れていく。
人が離れるから、ますます不幸になり性格が捻じ曲がりさらに人が離れるというスパイラル。
一度ハマると抜け出せないのが負のスパイラル。

●当たり前のことは出来ない
多くの不幸な人を観察していると、当たり前のことが当たり前に出来ない。
悪い環境や状態が続くと心が折れ、目の前の現実から逃げるために感情を抑え込む。
その結果が、心の余裕を失う。
「学生の頃は楽しかった」と思い出話をする人をよく見かけるけど、それは社会人になると生活がつまらなくなっていると認めていること。
社会人のように決められた毎日が続くと、考える習慣がなくなり、嫌なことがあれば仕事のためと自分の感情を押し殺した結果が「魚の死んだ目」につながる。
これが、満員電車で大量発生している大群(笑)
自分の周りにいる不幸な人、軽蔑する人の行動を見渡すと間違いなく「感謝」と「挨拶」が出来ない。
当たり前のことが習慣化されていないから、不幸だし軽蔑される。
一方、人が集まってくる人は「感謝」も「挨拶」が自然と出来ている。
当たり前のことを当たり前にできる習慣がある人の共通点が道徳心が高く相手のことを理解しようとするから人から好かれる。

これが人としての魅力の差!
◼️心のバロメーター
●「ありがとう」から始まる
共同生活の中では、必ずいいこともあれば悪いこともあるし、調子がいい時期もあれば何をやっても上手くいかない時が必ずある。

特に何をやってもうまくいかない時期は心が荒み、やる気もなくなる。
普段では考えられないミスが続きさらに心が荒む。
そんな時に大切にしたいのが「ありがとう」という感謝の気持ち。
自分から「ありがとう」が言えない、「ありがとう」と言われない状況から意識的に脱却する。
感謝することは相手を認めること、感謝されることは相手から認められること。
この小さな積み重ねが自分の価値を上げる。
●何気ない風景
前置きが長くなりすぎたけど、通勤ラッシュ時に稀に見かける席を譲る行為。
満員電車の中、席に座って快適に過ごせる時間を犠牲にして、他人に席を譲る。

席を譲れる人は、当たり前のように行動する。
1番気持ちよくなるのが譲った後の感謝の言葉。
本当に困っている人は「感謝」の言葉に重みがある。
最近見た光景
小さな子供連れの家族が満員電車に乗車した時に、すぐに声をかけて席を譲るおじさん。
お母さんから「すぐ近くで降りるから」という理由で席に座ることがなかったけど、その後の対応が心温まった。
子供が席を譲ろうとしたおじさんに笑顔で「ありがとう」という言葉を伝えた。
そして下車する時にお母さんと子供が席を譲るために声をかけてくれたおじさんに会釈と笑顔。
当然おじさんは笑顔になるし、そんな光景を遠くから見ていた自分も朝から気分が良くなった。
まさに譲り合いの精神だね。
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●道徳教育の大切さ
困っている人がいたら自らを犠牲にしてでも助けられる人、その助けの気持ちに対して素直に感謝を伝えられる人。
感謝が出来ない子供が増えた原因は親の責任だと思う。
電車で見かけた席を譲るおじさん。
そのおじさんに対して子供が感謝の言葉を伝える。
その感謝を伝える行為を教育しているのが両親。
自己犠牲に対して笑顔と感謝を伝えられ心豊かになるおじさんと笑顔、おじさんの笑顔に子供も両親もさらに笑顔になる。なんの接点もなかったおじさんと家族の笑顔の交換。
些細なことかもしれないけど、こんな笑顔の交換が「行動してよかった」と感じるし、「また感謝される行動をしよう」と変わる。
何より、自己犠牲してくれる人に対して素直に感謝を伝えられる子供を育てている両親の顔には不幸は感じは微塵もなかった。
多分、普段から当たり前のことを当たり前にすることが習慣になっている家族なんだなと思う。
笑顔の交換の回数が人を豊かにする。
笑顔の交換を言葉を変えると「感謝」と「挨拶」の交換。
素直な気持ちで行う「感謝」と「挨拶」はお互い笑顔にしてくれる。
逆に言えば笑顔にならない「感謝」と「挨拶」は不快を生む。
笑顔を作る源は「お互い様」。
でも多くの人はお互い様の精神を忘れているから、「感謝」「挨拶」をして不快な気持ちになることも多い。
その経験が積み重なり、素直に「感謝」「挨拶」をしない人を増殖させる。
でも、不快になろうとも素直に「感謝」「挨拶」が習慣的に続けていると間違いなくいいことが起きる。そんな人の周りには助けてくれる人が集まる。
それはなぜか?
一緒にいて気持ちいから!
笑顔の周りには笑顔が生まれる。
憎しみの周りには憎しみが生まれる。
環境は自分が選ぶものってこと。

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