【馬の耳に念仏】という言葉で想像するのは、どんな良い言葉を伝えても相手に聞く意思がなければ伝わらないという、あくまで相手に問題がある時の例えだと思っていた。

たまたま見つけたコラムで、自分の意見が伝わらないなら、誰でもわかる言葉で説明しろ!と書いてあった。
まさにその通りだと思う。
これまで相手に聞く意思がないと諦めていたことが実は自分の伝え方に問題があるという視点に変えるとはんせいしなければいけない点は幾つも出てくる。
曖昧な言葉や、専門用語、難解なカタカナ、早口で喋る。。。など。
他人に分かってもらおうと思わない姿勢こそが改善の必要がある。
どうしても感情に左右されるし、専門用語は知っていて当たり前という感覚が出てします。そして、わからないことがあればその場で聞けば良いだけと自分本位で見てた気がする。
伝わらないなら、誰でもわかる言葉で説明しろ!
何か心に引っかかる言葉。


目次
■馬の耳に念仏とは?
馬の耳に念仏のことわざの意味は、馬に念仏を聞かせても、そのありがたさを馬は理解できず、少しも効果がないことから、ありがたみのわからないことの例えとして使われる。
相手を少しバカにした表現で使われることが多く、使い方によっては失礼になる。
例えば、
社長は馬の耳に念仏で、新しいアイディアや提案は話も聞いてくれない。これは社長が愚かだ!とストレートに言っているのと同じ(笑)
目上の人に対して使わない方がいいかも。

「猫に小判」「豚に真珠」なども近い意味のことわざで、人の忠告や意見に耳を貸そうとしない、愚かな様子という例え。
でも考え方を変えると、馬にも伝わるような表現で接しれば馬も理解するし、猫に小判の使い方を教えたら頭のいい猫は恐らく小判と餌を交換するという手段を使うと思う。
⚫︎馬の耳に念仏の由来
馬の耳に念仏の由来は、馬耳東風。

馬耳東風とは、人の意見に耳を貸さないことという意味で中国で作られた言葉。
中国から日本に伝わると、「何を言っても馬の耳に風」と歌舞伎のセリフなどで言われるようになり、「馬の耳に風」ということわざに変化。「風」が「念仏」に変わり、馬の耳に念仏ができたと言われている。

人の意見に耳を貸さないことを意味する馬耳東風から、ありがたい言葉も耳に入らないと言う馬の耳に念仏という意味になった。
大昔の中国でも日本でも、人の話を聞かない人が多いってこと(笑)
■人の話を聞かない理由
人の話を聞かない人が悪いと否定するのではなく、なぜ話を聞かないのか?理由を考える。
話を聞かない理由は?
話の意味がわからない。
話が早いし長いから聞いてられない。
信用できない人の話は聞かない。
話がつまらない。
全く別のことを考えている。

自分が人の話を聞かない理由をまとめてみると、話をする人にも問題があるような気がしてくる。
出来ることも出来ないことも、やれることも、やれないことも必ず理由がある。その理由を分析することが大切。
⚫︎話を聞かない理由をなくす
話の意味がわからない。
自分が知っている言葉や知識が必ずしも相手が知っているという前提が問題。
相手の目線になって適切な言葉を選ぶように意識する。
話が早いし長いから聞いてられない。
話はゆっくり、簡潔に相手が飽きないレベルに纏める。
思ったことをそのまま口に出すのではなく、簡潔に伝えることを意識する。
信用できない人の話は聞かない。
信用されない理由を潰さなければ、どんな良い話も相手は聞いてくれない。
話がつまらない。
一方的に話をするのではなく、相手から会話を引き出すように誘導する。相手の身振り、表情を見ながら退屈そうにしていたら話題を変えたり、相手が興味を持つような話と必要に応じて相手の意見を引き出す。
全く別のことを考えている。
相手が上の空の状態なら話す機会を改める。もしくは相手が今考えていることを解決させてから本題を話す。
■伝えることの大切さ
当たり前だけど、自分のやりたいことをしたければ相手に自分の意思を正確に伝えなければいけない。この正確に伝えるということが非常に難しい。
馬の耳に念仏と感じることがあった時、まず疑うべきは自分の行動。
相手の目線で言葉を選んでいたか?
専門用語や流行語など使いすぎていないか?話を簡潔にゆっくり話せているか?
一方的に話していないか?
まずは自分が出来ることを考える。
誰でも伝わる言葉で説明曖昧な言葉や難解なカタカナは使わないゆっくり分かりやすく簡潔に話す
相手が話を聞いてくれないと諦めるのではなく、他人に分かってもらおうと思わない姿勢が問題と思うようにする。
そうすると、馬の耳に念仏という言葉は使わなくなると思う。
全ては自分の伝え方次第!
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